宮城県議会議員 田口雄二(たぐちゆうじ)

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「民主党宮崎県連」の要望調査活動(11月9・10日)

県連代表の川村秀三郎衆議院議員が国土交通大臣政務官に就任したこともあり、表敬訪問を兼ねて調査要望活動をする。今回は星山健一宮崎市議と富井寿一日向市議も同行し、県議3人と県連のアクションプラン2012の活動の一環として、3大臣と民主党幹部と意見交換、そして横浜市の海上保安庁を視察してきました。

写真はありませんが、中塚一宏内閣特命担当大臣にもお会いしました。

①奥村展三民主党国対委員長代行

②川村秀三郎国土交通大臣政務官

③郡司彰農林水産大臣には

④幹事長代行時代に大変お世話になった樽床伸二総務大臣

⑤樽床総務大臣と大久保利通自筆の書の前で

⑥視察した海上保安資料館横浜館

「新みやざき」の調査要望活動(11月9日)

会派の5人で、宮崎県東京事務所で東京事務所の役割について調査し、梶原康弘農林水産大臣政務官に要望活動、民主党の新しい幹部にご挨拶してきました。

①細野豪志 民主党政調会長と意見交換

②安住淳 民主党幹事長代行と

③安住・細野民主党両幹部と記念撮影

地域医療対策特別委員会の県外調査(11月6~8日)

「地域医療を守る条例」の制定を目指す特別委員会(私が委員長)は、財政破たんした北海道夕張市の地域医療、兵庫県では自殺対策とこころのケア等について、そして全国初の地域医療を守る条例を制定した奈良県で調査を実施。

特に印象深かったのは夕張市です。知名度は抜群の市ですが、いたるところに朽ち果てた施設や住居が見受けられた。炭鉱が最盛期の昭和35年頃には、人口が約11万7千人もいたのに、相次ぐ炭鉱の閉山、そして市が財政破たんし、現在は1万人ほどになり、高齢化率も市としては日本一高い44パーセントを超える状況。広大な市には、高校・中学校・小学校がいずれも1校ずつとなり、いくつも廃校となった小中学校のグランドは草ぼうぼうでした。170床もあった総合病院は、19床の有床診療所へ転換される等々、まさに地方都市の将来を見るかのような思いでした。地方議員としては深刻に考えさせられる状況で、身の丈に合った行政運営を痛感。

①総合病院から診療所になった「夕張希望の杜」  在宅医療をはじめ「ささえる医療」を実践中

②「夕張希望の杜」の森田洋之所長 森田所長は宮崎大学医学部出身で、県立宮崎病院等に勤務した後、夕張へ。夫人は宮崎市出身。

③閑散とした夕張市中心部

④勢いがあった頃につくられた夕張市役所

陸上自衛隊都城駐屯地開設61周年と第43普通科連隊創隊50周年の記念式典(10月28日)

5000人を超える来場客で記念式典が盛大に行われる。都城駐屯地へは、初めての出席ではあったが、しっかりと訓練された精鋭達の模擬戦闘訓練やレンジャー展示等、実にすごい迫力でした。何度も見ている航空自衛隊新田原基地の航空祭とは、趣が全然違うし、また地域との交流がしっかりと根付いていることには感心しました。ちなみに私は、宮崎県議会防衛議員連盟の副会長です。

①観閲式 藤原修駐屯地司令は、都城駐屯地の近所の出身です。

②観閲式 82式指揮通信車

③観閲式 延岡の災害時に派遣される部隊 お世話になります。

④いかつい隊員達のかわいい仮装行列

⑤模擬戦闘訓練

⑥模擬戦闘訓練 74式戦車

⑦模擬戦闘訓練 155ミリりゅう弾砲(愛称サンダーストーン)射程距離30㎞

出逢いの聖地を祝い、夜景を楽しむ会(10月21日)

古事記編さん1300年の本年、天孫降臨した二二ギノミコトとコノハナサクヤヒメが出会った所、愛宕山で「出逢いの聖地を祝い、夜景を楽しむ会」が、笠沙の会主催で開催されました。城山にあった愛宕神社が延岡城築城により、笠沙山(かささやま)に移築され、愛宕山に名前が変わりました。二二ギノミコトとコノハナサクヤヒメがここで出会い結婚し、海幸彦・山幸彦を含む3人の子供を生みました。山幸彦の孫が初代の神武天皇です。

神事が行われた後、食事をしながら、日本夜景100選の夜景を展望台から楽しみました。延岡は古事記の舞台でもありますし、神話の宝庫です。その割には県の観光関連予算がほとんどついていません。延岡選出の県議としては問題だ。

①神事での玉串奉奠

②家内と下田延岡市議のイサベル夫人と

③展望台からの夜景

④二二ギノミコトとコノハナサクヤヒメの出会いに因んだモニュメント