宮崎県は明治6年に誕生したが、国の政策で明治9年に鹿児島県と合併させられた。
この間、災害や西南の役(明治10年)などもあり、疲弊した郷土を憂い分県運動が沸き起こり、明治16年に宮崎県は再配置された。
この最大の功労者である「川越 進」初代宮崎県議会議長をしのぶ献花式が県庁の中庭で行われる。
県議OB、県議、知事をはじめとする県幹部が胸像に献花する。再配置されて本年で131年目を迎えた。
その後、平和台公園の県議物故慰霊碑前に移動し、慰霊祭が執り行われる。昨年度は同じ会派であった水間篤典さん、そして松井繁夫元議長など、4人がお亡くなりになり、会わせて512柱の御霊を慰霊する。これまで宮崎県の発展にご尽力いただいた先輩方、ありがとうございました。
①川越 進翁の胸像前(県庁前庭)
②川越翁のご子孫が献花
③物故県議合祀慰霊祭(平和台公園)
④物故県議の慰霊碑
⑤慰霊碑隣の置県百年の碑